「どうした。飲み過ぎたのかい?」
 人狼は、月夜を散歩する、蒼の魔導師を見付けた。
「ミルクで、ですか? まさか」
 マイラは、微笑む。
 人混みを嫌って、外に出たのか。
「そうかい。しかし、やられたね。どうせジェネラル・ロッドの手配だろう…」
 ヴェルダーウェインは月を見上げる。
 満月には、狼の血が騒ぐ。
 その血の疼きも、ファースのおかげで静まっていたが。
「すっかり俺まで、英雄の仲間にされちまった」
「狼の牙も抜かれた、と?」
 マイラは、意地悪に問い掛ける。
「冗談じゃない。それこそ奴等の思う壺だ。まあ、やり難くなったには違いないが」
 何が、やり難いのか。
 それは。
「名が売れると、悪い事も出来ませんからね」
「悪い事、は無いだろう」
 人狼は抗議する。
「奪われた物を取り返して、何が悪いんだ?」
 ヴァンサムラーナの事であった。
 ロッドの狙いは簡単に見えた。
 おだてて絡め取ろう、などという訳では無い。
 ただ、人狼を有名人にして、その動きを制限する。
 マイラやハドが、そうであるように。
 地味だが、それなりに有効な手であった。
 しかし、実は。
 恐るべき真の目的は、更に別のところにあったのだが。
 それに二人が気付くのは、もう少し先の話だ。
 ともあれ。
 企んでいるのが老人ならば。
「やはり、クルーズ・マスターでしたか」
 マイラも、その可能性を考えなかった訳では無い。
 ヴェルダーウェインを追い詰める事が出来る連中など、そう多くはないのだから。
 しかし、ひとつ分からない。
「彼等がリスタの女王を求めた理由とは、何だったのでしょうね」
 そこが思い当たらないのだ。
「連中の狙いなんぞ、どうでもいいのさ。それより…」
 狼は、珍しく真顔で言う。
「聞かせてくれないか? マイラ・オルフェイン」
 ヴァンサムラーナを取り戻す件について、協力するか、しないのか。
 …では、無かった。
「何故、俺を手伝う気になった?」
 マイラは既に、船の上で協力を申し出ていたのだ。
「あんた確か、国王とも面識がある筈だろう」
「幼少の頃、父の絡みで数回お会いしただけですが。良くご存知ですね」
 マイラは、笑みを保っている。
「理由はひとつです。ヴェルダーウェイン」
 真っ直ぐな瞳が、人狼を射抜く。
「貴方は、私が殺していた筈の少女を、救ったのです」
 スクランカの事であった。
 そのお礼、といったところか。
「偶然さ」
 さらりと、人狼は流した。
「何も、狙ってやった訳じゃない」
「だとしても」
 マイラは譲らない。
「その借りを返さなくては、私の気が済みません」
 狼は、大げさに肩を落とす。
「なんだ、そんな理由かい。てっきり…」
 大きな笑みがある。
「俺に惚れたから、協力してくれるのかと思ったんだがなあ」
 まさか、そういう解釈があったとは。
 マイラは、不意打ちを食らった。
 しかし、負けていない。
「貴方やハドのような遊び人に、ですか?」
 一括りに、切り捨てる。
「残念ですが、好みではありませんね」
 色男が、振られた。
「そいつは本当に残念だよ。だが協力してくれるなら、口説く時間はあるさ」
 引く気はないようだ。
 こちらも。
「だが、もう一度だけ聞いておく。本当に、いいんだな?」
 それに協力するという事は、クルーズマスターを。
 或いは、リース連合王国そのものをも、敵に回すかもしれないのだ。
 リスタ最後の女王を捕らえて監禁する、などという事が、ジェネラル・ロッドの独断だとは考え難い。
 即ち、そこには国王ライアス・リースからの指示があったと推定される。
 今回の手際を見ても、そう考えるべきだ。
 割に合うとは、とても思えない。
 しかし。
 その判断をするのは、彼女なのだ。
「ええ。ただし条件があります」
 マイラは、微笑んだ。
「あくまで彼女を奪還するまでです。その後の面倒は見ません」
 借りを返す為にヴァンサムラーナ奪還を助けるが、それ以外は一切しない。
 どうも、そういう事らしい。
 それで釣り合う、と魔導師は考えているようであった。
「将来、彼女の記憶が戻るような事があれば、ひょっとすると敵対するかもしれません」
 さらっと言う話ではない、が。
「それは、俺とも、かい?」
 念の為、狼は確認する。
「元々、敵同士じゃありませんか」
 マイラは言ってのけた。
「参ったね。今の俺達は仲間だろうに」
 愛嬌のある笑みで、ヴェルダーウェインは返す。
「期間限定の、ですね」
 取り付く島も無い。
「だが俺の読みじゃ、あんた敢えて今、俺との距離を取り直しただろう?」
 マイラは、呆れる。
「まさか。ですがそう思うなら、相手に言うべきではないでしょう?」
「お前の事など、全てお見通しだ」
 ぺろん、と大きな舌を出す。
「…と、そうやって思わせるのもテクニックなのさ」
 どうやら。
 一歩も引く気はないらしい。
 この、タフな狼は。
 不死身の人狼、ヴェルダーウェインに。
 マイラは、げっそりした。
「…やはり、気が変わりました。もう手伝いません」
 蒼の魔導師は、人狼に背を向けると、歩き出す。
 狼は、楽しそうに笑っていた。
「怖いのかい? この俺が」
「違います」
 珍しく、声に苛立ちを隠せない。
「塔に篭って浮世離れしたつもりでも、こうやって外の世界に触れると、駄目だよなあ」
 勝ち誇ったように、狼は言い放つ。
「人間らしさを取り戻すだろう? マイラ・オルフェイン」
 魔導師に冷ややかに睨まれても、人狼は怯まず続けた。
「あんたは本来、そんなに乾いた人間じゃないのさ」
 分かったような事を言う。
「…それも、テクニックですか?」
 にやり、と狼の口が笑った。
「さて、ね」
 食えない男であった。
 魔導師は、大きな溜息をひとつ。
 ヴェルダーウェインの目的を、完全に理解したからだ。
 この男は、マイラ・オルフェインの領域に。
 本気で、入り込もうとしているのだ。
 そういう、意思表示であった。
「どうやら本気でしたか、人狼」
 冗談だ、という事にしておきたかったが。
「ああ。言っただろう? 俺は、あんたにも惚れてると」
 それは、叶わないらしい。
 なれば。
 逃げる訳には、いかないのだろう。
 アステノーラ流の名に賭けて。
「ふふ。受けて立ちますよ、その勝負」
 マイラは、戦うことにした。
 そういう運命なのだろう、彼とは。

 他の誰にも、きっと分からない。
 二人のやり取りが、実は。
 意外に、ロマンチックなものであったと。



「ファースが居ないんだけど…」
 レイクリルは、朝食に姿を見せない相棒を気に掛けている。
「そうか。もう行ったか。思ったより早い決断だよ」
 昨晩あれだけ飲んでも平然としている巨漢が言った。
「どういう事です? 船長」
 レイクリルが詰め寄る。
「一人になりたい時があるんだよ、男ってのはな。だが、しかし…」
 対面に座る長身の人狼に向けて、言葉を投げる。
「その答えが妙に早いな。誰かに背中でも押されたのかね」
「悪かったかい? 善意のつもりだったが」
 干し肉を頬張りながら、人狼は何故か、マイラに振る。
「私に聞かれても…。ただ、追うなら早い方が良いですよ」
 その視線はレイクリルではなく、スクランカへ向けられた。
「そうだね、お姉さん。私の鼻なら、きっと見つけられるよ」
 やっと、レイクリルに言葉が回って来た。
「何となく分かったわ。あいつ、あたしを置いて一人で行ったのね」
 彼女は気付いた。
 気付きたくなかったが、荷物も無くなっているのだから、それが答えだ。
「で、なんで貴女がファースを追うの?」
 今度はスクランカに詰め寄る。
「決まってるでしょ。ね?」
 父親へ言い放つ。
「好きになっちまったもんはしょうがない。そうだろう?」
 にやりと笑うと、狼はマイラへ言う。
「私に言われても…。ただ、貴方達のように異性と見れば即発生する感情では無いようですね」
 ハドへ。
「おい。俺は一途だよ。遊びと本気は分けているからな。しかし、もてるじゃないかよ、ファース」
 何の遊びだろう、この伝言ゲームは。
「もういいです! あたしは絶対にあいつを捕まえるんだから!!」
 ほっぺたを膨らませて、レイクリルは宿を飛び出した。
 ファースを、封印でもしそうな勢いだ。
「だから、私の鼻が無いと無理だよ」
 スクランカがそれを追う。
「お前なら直ぐに見つけるかも知れんが…」
 ヴェルダーは、すかさず声を掛けた。
「まあ、半年くらいは追い付かずにいてやれ。本気であいつを想うなら、な」
「…うん。分かったよ、パパ」
 笑顔で頷くと、スクランカは消えた。
 見事な速度であった。
 ファースに追い付きはしないが、追い付ける距離には留めておきたいようだ。
 狼は狩りの際、長時間の追跡を行う。
 獲物とされる若い剣士に、人狼は同情した。
「しかし、大丈夫かね…。道中、年頃の娘二人だけ、というのは」
 ハドが、思い付いたように言う。
「レイクリルさんの封印術は、今やハド・ギームすら止められますからね。前衛さえ居れば、ですが」
「うちの娘も、出会った頃の坊やよりは強いかもな」
 つまり。
「俺では手篭めに出来ん程のコンビ、かよ」
 ハドより手強い女好きなど。
 …目の前の人狼くらいしか、居そうに無い。
 心配は不要であった。
 暫しの沈黙の後、マイラが口を開いた。
「やっぱり、アディさんの煎れた紅茶はおいしいですね」
 男達は、頷いた。
 他にここで語る事は、もう無かった。


 彼等はこれより、それぞれの道を行く。
 ファースは既に旅立った。
 少女達は、彼を追った。
 ハドは、再び気ままな海へ、レチルやビーガンと共に。
 マイラとヴェルダーウェインは、ヴァンサムラーナ奪還へと。
 誰も再会の約束は取り付けなかったが、何時かまた出会う事は分かっていた。
 ただし。
 それは、少し先の物語となりそうだ。

 時は未だ、満ちていない。



「届け物なんだが、ね」
 人狼、ヴェルダーウェインが懐から取り出した物があった。
 自分自身、だとはもう言わなかった。
 二つ折りの羊皮紙だ。
「預かり物、だな。男からの」
 ひどく個性的な字。
 ハドには、確かに見覚えがある。
 以前、それで酷い目に会っているのだ。
『マイラ・オルフェインへ』と書いてあった。
 誰からの手紙だろうか。
 蒼の魔導師は、羊皮紙を開く。
『次に会う時は、”さん”付けするなよ。もちろん俺の相棒にもな。剣士より』
 約束は今、ここにかわされたのだ。
 マイラ・オルフェインは、天井を見上げた。
「ただの、約束でしょう」
 笑顔がある。
 その相手は必ず、約束を守ると知っているから。
 明日はきっと、良い日だろう。
 そう思わずにいられなかった。


 透き通るようでいて、しかして深い、蒼の証が揺れていた。










蒼姫 第一部  完